鴨氏発祥の地、鴨系神社の総本宮 - 高鴨神社・大和古社寺巡礼017
高鴨神社(高鴨阿治須岐詫彦根命神社)
※社寺名は、基本的に現在使われている名称によりました。
※( )内は、神社は『延喜式』神名帳による表記、寺院は史料にみえる表記です。
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葛木鴨の地において弥生時代以前から祭祀(さいし)を行っていた鴨族が奉斎する古社で、全国の鴨(賀茂・加茂)系神社の総本宮として崇敬されてきました。
エリア/御所市
主祭神/阿遅志貴高日子根命(迦毛之大御神)
ご神徳/再生復活・病気平癒
ご由緒
古代の葛木山(金剛・葛城山)の山麓に位置する高鴨神社の鎮座地は、製鉄技術や農耕技術に優れた鴨氏の発祥の地と伝えられています。一族のなかには弥生時代の中ごろに平野部に移って水稲耕作を始めるものもあり、さらに現在の京都方面をはじめ全国各地に、鴨大御神を奉斎して広がっていきました。今もそれらの地には加茂、賀茂、鴨などの地名が残っています。
鎮座地の周辺には水の祭祀遺構のある南郷大東遺跡などもありますが、高鴨神社の創祀は詳らかではありません。
主祭神の阿遅志貴高日子根命は『古事記』『日本書紀』の国譲り神話や、『出雲国風土記』に登場し、また出雲国国造が新任にあたって上京し奏上する『出雲国国造神賀詞』のなかに、「己命(大穴持命=大国主命)の御子阿遅須伎高孫根の命の御魂を葛木の鴨の神奈備に坐せ」とあることなどから、出雲系の神と考えられます。
『続日本紀』天平宝字8(764)年条には土佐に流されていた高賀茂の神を復して祀(まつ)ったという不思議な記載もありますが、雄略天皇と葛木山中で相対したという一言主神と同神と考えられた時期もあったのかもしれません。
しかし『記』『紀』のなかで大神とされる神々は少なくありませんが、大御神と称えられる神は天照大御神、伊邪那岐大御神と迦毛之大御神のみで、古来大御神として尊ばれてきました。
「味鉏高加茂大神社 彩色惣絵図」は明治時代の奈良県が廃され堺県となっていた当時の絵図で、本殿正面の軒唐破風の姿が良く描けています。かつての拝殿は石垣に柱を架けていたようです。
主祭神
阿遅志貴高日子根命(あぢしきたかひこねのみこと)
大国主神と宗像大社の奥津宮の多紀理毘売命との御子神で、亡くなった神をも甦(よみがえ)らせることができる御神力の強い神。
境内参拝・気が付かなければ…
※📸は撮影ポイント
※スマホを見ながら散策できるモデル順路
一の鳥居
一の鳥居では、左右の狛(こま)犬が出迎えてくれます。また鳥居の左手には、古風な文字で記された「下乗」の標石があります。鳥居の前で小揖(しょうゆう)をして進みます。
祓戸神社
高鴨神社の祭礼の前には祓戸神社の前で祓詞(はらえことば)が奏上され、祓串(はらいくし)や塩湯で神職や参列者の修祓(しゅばつ)が行われます。ご祭神は祓戸社としては全国でも珍しく、伊弉諾命の禊(みそ)ぎによって生まれた大直日神、神直日神、伊豆能賣神、底津綿津見神です。
普段の参拝に際しても、まず祓戸神社にお参りしてから、境内に参進しましょう。
手水舎 📸
石段を下った左手にある手水舎で、作法に基づいて略式の禊・手水をとりましょう。
二の鳥居とご神木 📸
左手に宮池(放生池)を見ながら参道を進むと二の鳥居が出迎えます。参道が低いところにあるという形は、出雲大社と同じようです。
二の鳥居は石でつくられています。また鳥居の右手には、注連(しめ)縄を巻いた大きなご神木が…
拝殿
現在の拝殿は、平成30年に建て替えられたものです。
拝殿前で二礼二拍手一礼のお作法で参拝。
本殿
本殿(重要文化財)は、室町時代の天文12(1543)年に再建された建物で、奈良県下では比較的数少ない三間社流造りの社殿で、正面には軒唐破風(からはふ)が付けられています。
主祭神と共に事代主命、阿治須岐速雄命(主祭神の御子神)、下照姫命、天稚彦命がお祀りされています。