国原譜
小僧として寺に入り、師僧の下で修行を重…
小僧として寺に入り、師僧の下で修行を重ねて一人前になる。親から子への世襲も多いが、12歳の高田良信さんを法隆寺で迎えたのは、血縁のない老僧だった。
老僧は当時住職の佐伯良謙師。高田さんは佐伯師の自坊から学校に通い、早朝の勤行から庭の掃除、風呂たき、師が使う墨の準備まで、厳しい修行が続いた。
小僧時代の高田さんには、深く心に刻んだ師の言葉がある。「何事にも一生懸命打ち込むことや。それで上達しなくても決して急がなくてよろしい。人間は一生が勉強や」。
学校の授業にはまるで関心がなかったという高田さんだが、境内の古瓦を集めることに熱中、「瓦小僧」と呼ばれるようになる。僧侶の位牌(いはい)も整理し、文字を写し取ることに没頭した。
それらは「法隆寺昭和資材帳」の編さんにつながり、「法隆寺学」として結実した。法隆寺の第128世住職となった高田さんの研究意欲は、長老就任後も衰えることがなかった。
訃報に悲しみが募るばかりだが、敬愛してやまなかった師と、小僧時代の思い出を語り合っておられることだろう。(増)
老僧は当時住職の佐伯良謙師。高田さんは佐伯師の自坊から学校に通い、早朝の勤行から庭の掃除、風呂たき、師が使う墨の準備まで、厳しい修行が続いた。
小僧時代の高田さんには、深く心に刻んだ師の言葉がある。「何事にも一生懸命打ち込むことや。それで上達しなくても決して急がなくてよろしい。人間は一生が勉強や」。
学校の授業にはまるで関心がなかったという高田さんだが、境内の古瓦を集めることに熱中、「瓦小僧」と呼ばれるようになる。僧侶の位牌(いはい)も整理し、文字を写し取ることに没頭した。
それらは「法隆寺昭和資材帳」の編さんにつながり、「法隆寺学」として結実した。法隆寺の第128世住職となった高田さんの研究意欲は、長老就任後も衰えることがなかった。
訃報に悲しみが募るばかりだが、敬愛してやまなかった師と、小僧時代の思い出を語り合っておられることだろう。(増)