このページでは、Javascriptを使用しています

考古学


現在位置:トップページ> 考古学> 記事


礎石建物跡を確認 - 仏堂の可能性も/山添・毛原廃寺跡

2016年7月27日 奈良新聞

毛原廃寺跡で確認された建物跡。手前は礎石=4月20日撮影、山添村毛原

 奈良時代の寺院跡、山添村毛原の毛原廃寺跡で行われた初めての発掘調査で、礎石建物跡が検出され、県立橿原考古学研究所が26日、発表した。建物跡は既に約80年前に認識されていたが、基壇を新たに確認した。毛原廃寺跡は文献に記録がなく謎が多いが、建物跡は規模が大きく、同研究所は「山中に大寺院を形成していたと考えられる」としている。

 調査地は金堂跡(国史跡)から西約100メートルの史跡外の水田。この場所では昭和13年、多くの礎石が抜き取られたことが判明して、県が測量調査を実施。礎石建物跡1棟を復元した。

 今年4月、県道の拡幅工事に伴い同研究所が約150平方メートルを調査。建物跡の一部を再確認した。礎石の抜き取り穴は10基を確認。建物全体の規模は東西5間(約18メートル)、南北4間(約10・8メートル)と考えられる。

 昭和13年当時、埋め戻された礎石2個のうち1個も検出した。長さ1・1メートル、幅80センチ、厚さ30センチ以上。表面には柱座と地覆座が丁寧に造り出されていた。

 基壇(高さ0・5~1メートル)も東西20メートル、南北4メートルの範囲で確認した。出土した瓦から建物は8世紀前半の創建とみられる。

 この建物跡は従来、伽藍(がらん)中心部との位置関係から食堂(じきどう)などと推測されていた。ただ、7世紀後半の主要寺院の金堂と比べても遜(そん)色ない規模▽細長とならない平面形▽周囲に広がる平坦地―から、同研究所は「仏像を祭って儀式を行う仏堂が展開していた可能性もある」と指摘する。

 毛原廃寺跡は金堂跡や中門跡、南門跡などの礎石が良好に残存。周辺は奈良時代の東大寺領「板蠅杣(いたばえのそま)」の領域内に含まれることから、同寺に関わる寺院と考えられている。

 同研究所は「建物の規模や礎石の丁寧な加工から、山中にありながら平城京の大寺院に負けない格式の高い寺だったと考えられる。南都の僧の山村修行に関わる寺だったのだろう」と話す。

 現場は既に埋め戻されている。

記事の詳細は本紙をご覧下さい ⇒ 【 奈良新聞を購読する 】


最新ニュース

開幕へ早くも熱気 - 国文祭 障文祭 100日前イベント写真付き記事[2017.05.29]

平群も全面禁煙 - 本年度の県内自治体調査[2017.05.29]

足技ひらり - 春日大社で万葉蹴鞠写真付き記事[2017.05.29]

使途不明金2900万円 - 県猟友会[2017.05.29]

お客の夢乗せ 地域結ぶ - 奈良のバス 100周年記念写真付き記事[2017.05.29]

理想のまちつくろう - 王寺や近隣自治体の小学生らが体験写真付き記事[2017.05.29]

中小企業 4四半期連続好転 - 1~3月期県内企業動向[2017.05.29]

【団体戦】女子 奈良大付3連覇 - 全国高校総体県予選 体操写真付き記事[2017.05.29]

新斎苑関連費、補正に - 奈良市が予算案[2017.05.27]

白鳳伽藍の姿 50年かけ復興 - 薬師寺「食堂」の落慶法要写真付き記事[2017.05.27]



PR



おすすめサイト

会社概要採用情報新聞購読出版情報個人情報保護特定商取引法に基づく表示サイトマップ