国原譜
数日前、マルチタレントの先駆者とも言う…
数日前、マルチタレントの先駆者とも言うべき永六輔さんの訃報が届いた。「見上げてごらん夜の星を」の作詞者は、七夕の日に亡くなったというから、ロマンチックな符合を感じてしまった。
永さんは江戸っ子(浅草生まれ)で、関西の人間には少し縁が薄い感じがする。それでも、ちょうど今の時期に39年間、断続的に京都・円山公園音楽堂で開かれた「宵々山コンサート」を知る人にはなじみ深い。
昭和48年に始まった第1回から平成23年の第30回(最終回)まで、フォークシンガーの高石ともやさんと「元締め」として企画運営を務め、各界の若手を登場させたのが永さんだった。
19年の第27回のパンフには、奈良の「まつぼっくり少年少女合唱団(指揮・荒井敦子)」と記されている。荒井さんは12日付の記事で「永さんは本当の恩人」と追悼の言葉を寄せた。
26年秋には、再び京都で「大往生一座旗揚げ」コンサートを開いた。難病と闘っていた永さんは車いすで登場し、「死を怖がらないで、最期の瞬間まで楽しもう」と話していた。
きょう15日は祇園祭の「前祭」宵々山。合掌。(恵)
永さんは江戸っ子(浅草生まれ)で、関西の人間には少し縁が薄い感じがする。それでも、ちょうど今の時期に39年間、断続的に京都・円山公園音楽堂で開かれた「宵々山コンサート」を知る人にはなじみ深い。
昭和48年に始まった第1回から平成23年の第30回(最終回)まで、フォークシンガーの高石ともやさんと「元締め」として企画運営を務め、各界の若手を登場させたのが永さんだった。
19年の第27回のパンフには、奈良の「まつぼっくり少年少女合唱団(指揮・荒井敦子)」と記されている。荒井さんは12日付の記事で「永さんは本当の恩人」と追悼の言葉を寄せた。
26年秋には、再び京都で「大往生一座旗揚げ」コンサートを開いた。難病と闘っていた永さんは車いすで登場し、「死を怖がらないで、最期の瞬間まで楽しもう」と話していた。
きょう15日は祇園祭の「前祭」宵々山。合掌。(恵)