国原譜
県内の高校生有志が復興支援のボランティ…
県内の高校生有志が復興支援のボランティアとして宮城、岩手両県に入ったのは、震災から間もない平成23年8月だった。生徒らは津波にのまれた民家の片付けや水路の泥上げに従事し、夜行バスで帰ってきた。
それから5年。成人した生徒の胸に被災地の記憶はどのように形をとどめているだろう。参加後の感想文で多くの生徒が記したのは、自分が変わったということだった。
生徒らは被災地の現状を目の当たりにし、被災者と接する機会を得た。「お兄ちゃんの友達の家族がみんな流された」「気仙沼の港は一晩中火の海で、炎が風に流れていた」。遠く離れていた映像が、次々と現実になっていった。
県教育委員会が企画し、生徒会連絡会が中心となった活動だったが、ボランティアとして再び被災地を訪れた生徒もいるかもしれない。
ある女生徒は「自分が今すべきことは毎日を全力で精一杯生きること」と感想文に書いた。
多くの命が失われた被災地で、生徒らは社会の一員として足元を見つめ、命の尊さを感じた。震災5年の今、思いは自身の血肉となって息づいているだろう。(増)
それから5年。成人した生徒の胸に被災地の記憶はどのように形をとどめているだろう。参加後の感想文で多くの生徒が記したのは、自分が変わったということだった。
生徒らは被災地の現状を目の当たりにし、被災者と接する機会を得た。「お兄ちゃんの友達の家族がみんな流された」「気仙沼の港は一晩中火の海で、炎が風に流れていた」。遠く離れていた映像が、次々と現実になっていった。
県教育委員会が企画し、生徒会連絡会が中心となった活動だったが、ボランティアとして再び被災地を訪れた生徒もいるかもしれない。
ある女生徒は「自分が今すべきことは毎日を全力で精一杯生きること」と感想文に書いた。
多くの命が失われた被災地で、生徒らは社会の一員として足元を見つめ、命の尊さを感じた。震災5年の今、思いは自身の血肉となって息づいているだろう。(増)