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金曜時評

どこが難しいのか - 論説委員 北岡 和之

 集団的自衛権についての論議は分かりにくい、説明するのも難しい、とよく言われる。報道などからも、多くの人がそう感じているようにみえる。

 ではいったい、何が分かりにくいのか。集団的自衛権について、初めて明確に規定したとされる国際連合憲章の第51条には「この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない」とある。

 これを基にして、現在のイラクやアフガニスタン、パレスチナ地域などで行われている戦争(武力衝突)はどう考えられるか。わが国との関わりとしては、どう考えればいいのか。

 おそらく多くの人が「遠い国、地域でのことなので、よく分からない」と答えるのではないだろうか。そして、これはしごくまともな思いではないか。

 もっと身近な素材はないか。尖閣諸島や竹島をめぐる領土問題や北朝鮮との関係から考えられるか。だがこれも、中国や韓国や北朝鮮から、例えば米国が武力攻撃された場合を想定しようにも、現状ではそのような事態が起きるとは考えにくいように思う。個人的には、わが国をめぐっては戦争と平和がともに不可能な難しい時代、と言いたい気がする。

 本紙で別の論者も指摘していたが、こうした東アジアや東南アジア地域との関係をうかがうのに、最も身近なのは、わが県の観光地を訪れる他国の人々の姿だ。奈良市の奈良公園周辺をほぼ毎日のように通るが、何と多くのアジア諸国の人々の言葉が飛び交っていることかと感心することがある。さらに多くの外国観光客がわが県を訪れてくれるよう願うし、相手が喜ぶおもてなしで歓迎したい。

 スポーツや音楽、経済は国境を越えるだろうが、観光も国境を越える。国境を越えてゆくものこそが、平和をもたらすようにみえる。では国境を越えないとはどういうことか。国家とは何か、社会とは何かという古くて新しい問いが浮き上がってくるのはここだ。国家にとっては戦争が近くに見えるのに、日常生活が繰り返される社会の中では、戦争が遠くに見えているのではないか。

 集団的自衛権論議の難しさは、国家と社会(一般国民)との距離が遠くなってきたことに起因しているのかもしれないとも思うが、どうだろう。

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