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金曜時評

国会審議を尽くせ - 論説委員 北岡 和之

 国民を息苦しくさせるような法律は、なければいいに決まっている。ただ、現段階の近代国家にある程度の「秘密(機密)」があっても仕方がない、と思うだけだ。

 参院で審議入りした特定秘密保護法案をめぐる論議に関しては、既にさまざまな視点と問題点が挙がっている。当方の勉強不足を棚に上げさせてもらえば、正直に言って、自ら切実感を抱いて切り込んでゆく道筋がはっきりしない。糸口はどこにあるか。

 この法案が冒頭に掲げるところでは、「国際情勢の複雑化」や「高度情報通信ネットワーク社会の発展」に伴って情報漏えいの危険性も懸念されるから、「我が国の安全保障に関する情報のうち特に秘匿することが必要であるもの」、すなわち「特定秘密」の漏えい防止を図り、「もって我が国及び国民の安全の確保に資する」ことが目的だ。

 こんな風に言ってしまうと、極めて当たり前のことが言われているようにみえる。

 ただ、例えば「国際情勢の複雑化」とは具体的にどのような内容を指すか、「特に秘匿することが必要であるもの=特定秘密」は具体的にどのような内容を指し、それは誰がどのように決め、国民の「知る権利」との関わりはどうなるのか、などとこだわっていくと、次第に曖昧さがはっきりしてくる。

 それは、荒井正吾知事が27日の定例記者会見でこの法案について聞かれ、国家の秘密と知る権利との「境界の難しさ」を挙げたことにもつながる。この難しさを十分に論議せずして、何が国会論議か。いくつもの曖昧さを残したままで、強引に成立を急ぐことは絶対にやめてもらいたい。

 「秘密」という言葉がくっついた法律といえば、昭和29年に制定された「日米相互防衛援助協定等に伴う秘密保護法」ぐらいしか思いつかないが、同法で言うのは、米国から提供された武器の構造、性能、製作、保管などの技術や使用方法などの防衛秘密に限定されていたと思う。この限定性が大事で、そうでないと知る権利がどのあたりで制限されるのかの論議さえできない。

 「国家は限りなく開かれる方向に向かうべきだ」というのは当方の勝手な言い分に過ぎないと認めたとしても、基本的にこの方向への指向がなければ、国家の秘密と知る権利との境界の難しさは残り続ける。だからこそ国民の代表が集う場である国会での論議は十分過ぎるほどであるに越したことはない。

 少し前に、麻生太郎副総理がワイマール憲法を引き合いに出した憲法に関する発言で批判を受けた。それで思い出したが、またも「静かにやろうや」という“あの手口”を学ぶつもりだろうかと気にかかる。あの時、麻生氏は「憲法の話を狂騒の中でやってほしくない」と語っていたそうだが、それは認めてもいい。しかし、それと国会の内外での論議が盛んになることは全く別の話だ。拙速を避け、とにかく国会での十分な論議をと願う。

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