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金曜時評

日本語の再認識を - 論説委員 北岡 和之

 文化庁が公表した平成24年度「国語に関する世論調査」の結果を興味深く眺めた人も多いだろう。「きんきんに冷えたビール」「ざっくりとした説明」「パソコンがさくさく動く」「気持ちがほっこりする」といった表現を使うことがあるかどうか。自分では、どれも使ったことがあるような気がする。

 言葉にも生死があって動いていくから、あまり難しく考えなくていいようにも思う。古語(古代語)になると、それこそ今では意味が分からなくなっているものもあり、読み方が専門家によって意見が異なる場合もある。

 例えば「古事記」。原文は全て漢字で書かれていて、注釈書に読み下し文が付く。冒頭の一節を、字体を気にせず表記すると「天地初発之時」と書かれている。ここは共通だ。

 ところが訓読文となると、様相が変わってくる。「天地初めて発れし時に(あめつちはじめてあらはれしときに)」(新編日本古典文学全集)、「天地初めて発けし時(あめつちはじめてひらけしとき)」(日本古典文学大系)、「天地初メて発りし時(あメつちはじメておコりしとき)」(日本思想大系)、「天地初めて発くる時に(あめつちはじめてひらくるときに)」(角川ソフィア文庫)。

 「発」という漢字の読み方が違う。「あらわれし」「ひらけし」「おこりし」「ひらくる」。今なら「現」「開」「起」などの漢字を当てるところだろうか。専門家以外にどうでもいいことかもしれないが、原文は全て漢字であっても「古事記」が日本語(国語)で書かれていることに変わりはない。

 「古事記」の序文からは、文字がなかった時代から漢字で日本語を表記するまでに至った苦労がうかがえる。そして、今では意味がはっきり分からない言葉もある中で、言葉そのものとともに、当時の、またもっと以前の社会の様子や風俗、共同体の在り方などへと、さまざまな思いが広がっていく。

 最近、東京オリンピック開催が決まった平成32(2020)年が「日本書紀」完成から1300年の年でもあることから、県が進めている「記紀・万葉プロジェクト」の節目の年として、事業・イベントなどの展開をという声が県内で一気に高まってきた。

 こうした意気込み自体は、もちろん歓迎すべき機運だ。ただ、記紀・万葉プロジェクトは本来、わが国の遠い過去と未来を両方ともにらんで現在に生かすという意欲的で壮大なものだ。だからといって大げさに構える必要もないが、日常的に淡々と「古事記」「日本書紀」「万葉集」などに親しみたい。

 「古事記」本文冒頭の「発」という漢字の読み方がなぜいくつもあるのか。ここには日本語の深い歴史が込められている。「暮去者 小椋乃山尓 臥鹿之 今夜者不鳴 寐家良霜=夕されば 小倉の山に 伏す鹿の 今夜(こよい)は鳴かず い寝にけらしも」(万葉集・巻第9)。雄略天皇のお歌だが、よく似た舒明天皇のお歌が巻第8にもある。

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