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金曜時評

今こそ歴史認識を - 編集委員 北岡 和之

 40年前の9月29日、日中共同声明が調印された。ところが、祝うべき今年の40周年記念式典は中止が決まり、日中両国政府が角を突き合わせている。40年の時を経て、歴史は逆行しつつあるのかという思いが募る。

 同声明が調印されたのは昭和47年9月29日だった。その1年前の10月に中国は国連に加盟しており、国際舞台での新たな日中関係の幕開けで両国の関係は大いに進展して行くかに見えた。実際に経済、文化などの面では交流が進み、良好な関係を築いてきた。

 だが、政治的な世界では、表面的には静かながらも油断のならない状況がずっと続いていたことが見えてくる。

 つい先日、台湾の約40隻もの漁船団と巡視船12隻が沖縄県・尖閣諸島を目指してやって来て領海に侵入し、わが国民を驚かせた。

 こうした大船団の領海侵入は昭和53年4月にもあった。「海上保安庁三十年史」(昭和54年5月、財団法人海上保安協会発行)によると、同53年4月12日午前7時30分ごろ、尖閣諸島周辺の領海警備をしていた巡視船「やえやま」のレーダーに多数の船影が映った。約1時間後には五星紅旗を掲げた多数の中国漁船を領海内外で確認。同月18日までに領海を侵犯した中国漁船は延べ357隻に上り、うち123隻が操業、73隻が徘徊(はいかい)、161隻が停泊・漂白したという。海上保安庁側の警備は最大時で巡視船10隻、航空機4機だったとしている。

 記憶にとどめておきたいのは、先日の台湾漁船団や昭和53年4月の中国漁船団の領海侵犯で対応した第11管区海上保安本部のこと。海上保安庁が発足したのは同23年5月だが、11管が発足したのは同47年5月15日。それは、忘れてはならない「沖縄復帰」の日だ。

 40年前の同じ年に沖縄復帰と日中国交正常化という歴史的な出来事があった。その数年後に尖閣諸島周辺で中国大漁船団の領海侵犯があった。この間に、とりわけ中国側で何が進んでいたのか。推測にすぎないが、昭和50年8月に締結された日中漁業協定(旧協定)も関係していたのではないだろうか。

 沖縄に目をやれば、米軍基地はなくなるどころか、さらに重要性を増しているという見方もある。米軍の新型輸送機MV22オスプレイの沖縄配備となれば、中国の警戒感はさらに高まるだろう。

 領土・領海問題では、尖閣諸島と島根県・竹島などをめぐって中韓両国が「歴史認識」を強調しているという。これはわが国にとってもいい機会だ。明治以後の歴史ばかりでなく、さらにさかのぼれば何が見えてくるか、お互いによく認識すればいい。日中韓3国とも「わが国固有の領土」と言うが、「固有」とは歴史的でない見方であり、それぞれが言い張るなら解決は難しい。お互いの「固有」を保ちながら「固有」を超えることが可能な視点が見つかれば、歴史の段階は一つ上へ(前へ)進められると思うのだが。

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