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金曜時評

反省なき仲川市長 - 主筆 甘利治夫

 何が問われているか、まるで分かっていない。

 仲川元庸・奈良市長の持ち合わせの辞書には「反省」などという言葉がないのかもしれない。直近の「仲川げんのブログ」を読んでの感想だ。

 今月始めに、わざわざ開かれた臨時議会で、今後10年間の指標となる第4次総合計画の基本構想・基本計画案が否決された。なぜ否決されたのか、その根本的なことが分かっていない。県庁所在地の首長として、若いからとか経験不足だからとかでは済まない。

 民主党の勢いが増した政権交代前夜の一昨年7月の市長選で、民主推薦で初当選した。得票率は46.8%で過半数の支持はなかったが、市民から選挙で選ばれたことに間違いない。同時に行われた市議選で、議会議員も市民から選ばれたことを忘れてはなるまい。議会の意思もまた市民の意思だ。それを無視し、否定するような政治姿勢そのものが問題なのだ。

 仲川市長がよく「市民、市民」というが、その「市民」とは何か。自らの周辺にいるわずかな人たちだけではないか。そして支持した多くが、旧市街よりも新住民層に多いことも特徴だ。この街を愛し、この街で暮らす多くの人々の声が、どこまで届いているのか疑問だ。

 「市民」とは、支持しなかった53.2%の人をも含む奈良市民全員のことだ。ましてや、あの時の強烈な「民主旋風」に乗って当選したことを思えば、現在の菅内閣や民主党の支持率急落をみれば分かるように、果たしていかほどの支持があるのか。

 「若さ」は可能性への期待でもある。しかしながら、新人が行政のすべての分野に通じることなど不可能だ。未熟さ、経験不足は当然のことだ。世の中には各分野に精通したベテランがいる。学問はなくとも人生経験豊かな高齢者もいる。庁内の幹部職員も、議会の議員も、それぞれ「何か」を持っているから、その立場に今ある。

 完璧を求めているのではない。己を知ろうとせず、反対の立場の人の意見には耳を傾けようとしない。その姿勢が、すでに明確になっている。当選当初から、同じく市民に選ばれた議会を、軽視してきた姿勢が問われ続けてきた。

 総合計画案の否決は、政治姿勢とともに、市長としての資質が問われた。

 仲川市長は、総合計画案が否決されて10日もたってから、ようやく「総計否決の件」と題して、ブログに自身の見解を示した。計画案策定には、公約通り「市民参加型」で、あたかも手順を踏んできたように書いてある。その結果はどうだったか。昨年9月議会に提出した議案で、実に433カ所もの修正、削除が指摘されるほどお粗末なものだった。それを300カ所ほど修正したから、これでいいというものではない。

 過疎地域における連絡所の統廃合問題は、一つのキッカケに過ぎない。山間部で暮らす高齢者たちの声を真剣に聞いたことがあるのか。大阪に通勤する学園前などの高級住宅地に住む人たちとどう違うのか、分かっているのか。

 議員は地域や団体、政党など各界から出ている。その議会が全否定した計画案は、もう一度やり直すしかない。ブログで「無理がある」とか「無茶な話」とか、挑戦的な言辞を投げかけるのは、議会批判そのものだ。

 間もなく始まる3月議会で、議会は仲川市長の政治姿勢、政治資質を徹底して問うべきだろう。

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