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金曜時評

奈良の明日に望む - 論説委員 小久保 忠弘

 24日から遷都1300年記念事業のメーンイベントが奈良市の平城宮跡会場を中心に開幕する。かつて「なんと(710)立派な平城京」と年号を暗記した710(和銅3)年、藤原京から平城京に都が移って以来1300年。この記念の年に、わが国の成り立ちと歴史を振り返り、奈良の地から混迷する時代を見据え、未来を展望するのは大いに意味のあることだ。

 ちょうど今から50年前の昭和35年、本紙の前身大和タイムス社と奈良市観光協会などは「奈良遷都1250年記念奉祝祭」を3月10日から6日間にわたって開催した。折から2月には皇太子殿下ご誕生の慶事が重なり、古都は大いに湧いた。なかでも呼び物は1250人による時代風俗行列で、当時の人気俳優長谷川一夫が聖武天皇にふんするなど、7代6人の天皇に男女映画スターがずらり並ぶ豪華版。新調した錦の御旗を先頭に、150人の稚児行列、南都諸社寺の管長、門跡、宮司ら170人が続き、ミス奈良県や元林院芸妓衆のほか政財界人トップが連なるなど多彩な顔ぶれだった。サーカス団から借りた象2頭、使用した馬74匹。行列の長さは1.5キロに及び、10万人の見物客が押し寄せたと記録にある。そのころ奈良市の人口が13万人だったことを思うと空前の規模である。

 法隆寺の高田良信長老は、当時大学2年生。三条通の浄教寺から出発した行列に「奈良の寺院の僧たちと参列をした」と本紙に書いている。奉賛会長は高椋正次奈良市長、奉祝会長が谷井友三郎奈良市観光協会長と奈良市民の祭りではあったが、「大名にふんする奥田良三知事の供回りの費用だけで実に一日廿5万円」(当時の記事)とあるように、全県挙げての大事業だった。

 日米安保条約改定をめぐって国論が沸騰した「60年安保」の物情騒然たる時期であったが、奈良では古人の偉業を回顧、追憶し、あらためてその歴史的意義を評価する営みが行われていたことは、たんなる地域特性とは言い切れないものがあろう。

 以来、時移り星月流れて50年。遷都1300年の佳節を迎えた。だが日本をめぐる国際情勢は当時とどれほど変わったか。沖縄の普天間基地移設は、すぐれて国際問題であるにもかかわらず国内問題にすり替わったように見えるし、政権は変わっても日米同盟の機軸は不変だ。政党の離合集散は歴史の逆戻りの観すら呈している。この50年で世の中が良くなったか。1300年の奈良の歴史から測るのは難しいが、あらゆるところで限界が見えてきた。古人が英知と努力を傾けて一途に国づくりに励んだ昔と違い、修正を繰り返しながら存続、維持を図らねばらない時代だ。

 私たちの先輩は50年前に、「先人の残した遺産を除外して奈良市に誇るべき何ものがあるかを思うならば、一時の行事に浮かれるだけの記念祭ではなかろう」と書いた。いま同じことを言わねばならない。

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