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金曜時評

トップは説明せよ - 編集委員 北岡 和之

 小正月も済んで、慌しい年度末の日々が続く。行って(1月)、逃げて(2月)、去ってゆく(3月)この3カ月は「準備する」季節である。今の間にじっくりと準備して、来る新年度に向かっていくのは、個々人でも組織でも同じだ。



 厳しい新年の幕開けは予想通りだった。身近な周囲を見渡しても、海の向こうの遠い世界を眺めても、楽しい話などほとんど見当たらないといった状況だ。そんな中で、全国高校ラグビー大会で御所工御所実が準優勝に輝いたのは、明るくさわやかな話題の一番に挙げていいだろう。きっと多くの県民が「元気をもらった。ありがとう」と感謝しているに違いない。



 ともしびのような明るい話題にすがりつつ足元を見れば、やはり厳しい。とっくに正月気分などは吹き飛んでおり、開会早々から与野党激突の国会からも目が離せない。衆院議員の任期満了は9月10日であり、それまでには必ず総選挙がある。いささか待ちくたびれた感はあるが、とても大切な選挙で、有権者(国民)はこぞって貴重な1票を行使したい。各政党、立候補予定者も、万全を期して準備にいそしんでいる。麻生内閣の支持率低下の状況を見ても、衆院解散・総選挙の時期は春以降では、と予測する。自民・公明の与党側にとっては、やはりもう少し準備が必要だと考えているように思うが、どうだろうか。



 本紙が年明け7日付紙面から連日報じた、整腸剤「キノホルム」による薬害スモン被害者の会「県スモンの会」の使途不明金問題には驚いた。同会の臨時総会で解散を決めてしまったが、それで済ませてしまうには、分からないことが多すぎる。



 県スモンの会の会計(預金通帳)に留保していたはずのスモン訴訟における和解金などがほとんど消えてしまい、矢川敏雄会長(86)が会員に対して私的流用を認めている以上、まずは矢川会長自身の口から公式に事実関係を明らかにすべきだ。会員も高齢化し、実質的には活動はほぼ終息の段階を迎えているとしても、すべてを過去のこととして闇に葬り去るのは、あってはならないことではないか。



 和解金などの着服(私的流用)について、司法的には「時効」になっているかもしれないとしても、事実関係の説明はトップの責任で行われねばならない。



 30年前にもなるが、昭和54年10月30日付の本紙は一面トップで報じている。見出しには「全国初の和解成立」「賠償総額は6億円」。記事には「奈良地裁に起こしていた『奈良スモン訴訟』は、(10月)29日午後、同地裁会議室で第2回和解交渉が行われ、原告、被告双方の代理人のあいだで、第一次提訴患者23人についての和解が成立、調印した」とある。そして、談話を寄せているのは当然ながら矢川会長であり、記事は「今回の和解調印をテコにして、新たな闘争の出発点としたい」と語ったと伝えている。



 さて、矢川会長は旧社会党県本部の委員長を務めたこともある人だ。奈良市議会議員もやり、県議会議員は四期務めた。昭和50年4月の県議選で落選したが、奈良ユネスコ協会長や奈良の鹿愛護会理事長なども歴任した。奈良新聞社発行の古い「奈良県年鑑」を広げてみると、人物欄に「清廉潔白、妥協を好まず、筋を通す議員として活躍。博物館法学芸員の資格をもつ美術愛好家」と紹介されている。



 これほどの経歴をもつ人が、大切なお金を着服してほおかむりしたままでもいいのだろうか。誰でもが抱く、素朴な疑問だ。県スモンの会解散には反対の会員もいるという。当然だろう。「では、さようなら」では、あまりにも人をないがしろにした話ではないか。



 同じような思いは、南都銀行の違法建築を促進した巨額融資の話にも感じる。いくつもの違法建築を犯した当事者が何も語らず、かたや南都銀行のトップにしても、どう責任を明確にするかもはっきりしない。



 個人にしろ組織にしろ、何をやったか、どういう経過だったかを説明するのは大切なことだ。「そのうち春も来るだろう」と放っておくのが一番悪い。

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